『自分≠他人』

先日、ある大手企業の営業マン100人を対象とした研修の講師を務めて来ました。
都内の各営業所から集まった、成績優秀者の集団です。
やはり「できる人」達は、聞く姿勢も一流!
私の話がスタートした時点から、一言一句聞き漏らすまいとする熱心さで会場は満ち満ちていました。
まさに“全身が耳”のようにして聞き入っているトップセールスマン達の姿には、こちらの方がたじろぐぐらいでした。

私は常々、営業は“心理学”だと思っています。
営業マンであれば、商品知識を持っているのは当たり前。
ではなぜ同じ商品を売り込むのに、人によって成績に「差」ができてしまうのでしょう?
「熱心さ」、「意気込み」、「気合い」…どれも営業マンには必要な要素でしょう。
でも、必要なのはそれだけではありません。
〝相手が何を求めているのか〟を察する力も必要です。
初対面であるにも関わらず、お客さまがどういう人物なのかを瞬時に見抜き、お客さまの求めるものを提供してくれる人…

「そんな人いる訳ないじゃん」…と思いますよね。でもそれが間違いなくいるんです!

今回は、そんなことを思いながら研修に臨みました。

今回の研修のテーマは、

『自分≠他人』

今回のテーマ、『自分≠他人』を発表した瞬間、会場内は大きなどよめきに包まれました。
〝自分と他人はイコールではない〟…ほとんどの人が当たり前にそう思っていますよね。
昔から〝三者三様〟〝十人十色〟〝百人百様〟などと言われているように、みんなそれぞれ違ってて当たり前だと、頭ではわかっているんです。

だけど現実は、この〝自分と他人がイコールではない〟ことを理解していない人がほとんどなんです。

「なんでこうしてくれないのかなぁ…」

「自分だったらこうしてくれたら嬉しいのに…」

他人の行動や考え方に、「なんで」と思うことはよくありますよね。
これは、物事の判断基準が「自分」中心であるからなんです。
もっと言えば、「他人」の判断基準を認めていないからなんですね。
人それぞれ違って当たり前…と頭で分かっているのに、判断基準はそれを認めようとはしてないんです。

多くの親は、自分の判断基準に基づいて、子育てをしています。
いわゆる「しつけ(躾け)」ですね。
営業で、「熱心さ」、「意気込み」、「気合い」を前面に打ち出す人は、「自分の判断基準」で相手を〝躾け〟ようとしているのです。
人間関係を構築する上で、「自分のことを理解してもらおう」と思う適度な「しつけ」は必要かもしれません。
しかし、「しつけ」も度が過ぎるとただの「おしつけ(押し付け)」になってしまうことも、肝に銘じておかなければなりませんね。

相手を「受け入れる」ということ

自分の判断基準だけでなく、他人の判断基準も認めることができれば、
他人は、「自分とは異なった思考回路」を持つ人であり、「自分とは違った行動パターン」を演じてくれる人、「思ってもみなかった方向性」を示してくれる人と、もう一方の見方で捉えることができます。

人はそれぞれ違った判断基準を持っています。それがいわゆる「個性」です。
営業マンにとって必要なのは、相手の「個性」を認める力であり、相手の「個性」に合わせた対応力ではないでしょうか。

今回の研修に参加して下さった「トップセールスマン」の皆さんは、わずか2時間の講演の中でそれを理解して下さっただけでなく、それぞれのクライアントや見込客に対して、『個性別の対応』を既にして来られた人達の集団ではなかったかと感じました。
「間合い」、「空気」、「呼吸」…を感じることのできる人達の集団。
少なくとも、会社から与えられた「商品マニュアル」を、どんな相手にも棒読みしている営業マンではありませんでしたし、相手の立場を考えることもなく、一方的に喋りまくる営業マンでもありませんでした。
講演終了後は皆、確信に満ちた笑顔で意気揚々と散会したことは言うまでもありません。

 

『他人』即ち「自分以外の存在」を、心から認めることができるようになると、気負っていた自分自身の肩から力が抜け、柔道で言うところの「自然体」の自分を発見することができるようになる気がします…

面白いことに、心から認める、即ち『受け入れる』ことができると、…相手から『受け入れられる』ようにもなるんですね。

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