水無月

六月一日、新しい月の始まりです。
今月もよろしくお願いいたします。

六月は別名「水無月(みなづき)」と呼ばれていますよね。
そもそも梅雨の時期に何故、水が無い月と書くのでしょう?
調べてみると、水無月の「無」は「の」という意味の連体助詞「な」であり、「水の月」であるとする説が有力であるらしい。
そして、「水の月」という意味も梅雨だからではなく、「田に水を引く必要のある月」の解釈が有力のようです。

他にも暑熱激しく、水泉が滴り尽きるので水無月というのだとする説や、農事がみな為尽(しつ)きてしまうので「みなしつき」といったのを誤ったのだとする説、5月に植えた早苗(さなえ)がみな根づいた意から…など他にも諸説あるそうです。
※出典:日本大百科全書(ニッポニカ) 小学館

ちなみに十月を「神無月(かんなづき)」と呼ぶのも同じで、「神の無い月」ではなく本来は「神の月」だそうです。
一般的には、十月は出雲大社に全国から神様が集まるために出雲以外には神様がいなくなるために「神無月」と呼ばれていると解釈されていますよね。これは、出雲大社の御師が全国に広めた語源俗解で広まった俗説だということです。
出典:旺文社古語辞典

ところで…
「一日」を「いちにち」ではなく「ついたち」と呼び、
また
「二日」、「三日」、「四日」…「十日」を
「ににち」、「さんにち」、「よんにち」…「じゅうにち」ではなく、
「ふつか」、「みっか」、「よっか」…「とおか」と呼ぶことを不思議だなと思ったことはありませんか?

昔は月の満ち欠けに合わせた太陰暦でしたから、1ヶ月の始まりは 新月が現れる「月立ち」の日でした。

「月立ち」の「立ち」は「出現する」、「現れる」の意味で、新月が現れる日が“その月の最初の日”とされていたのです。

この「つきだち」が訛って「ついたち」となり、「一日」の字でそう読むようになったとのこと。

また「ふつか」や「みっか」…と言った「~か」というのは、日にちを数えるときの和語の数詞で、ふた(つ)・み(っつ)・よ(っつ)…という訓読みの数字にくっついて呼ばれます。

二十日の「二十」は、
「ふた・とお」→「はた」
と変化したものだと言われ、
二十歳(はたち)や二十重(はたえ)などでも使われていますよね。

実は、“一日~十日”と“二十日”だけが変則的な呼び方なのではありません。

昔は…
「十四日」を
「とおかあまりよっか」とか、
「二十七日」を
「はつかあまりなのか」のように
全部訓読みで呼んでいたんですよ。

このブログを書いていて、そういえば私の両親が、そんな呼び方をしていたのを思い出しました。

日常の何気ないことでも、今日のような節目の日をきっかけとして、いろいろと調べてみたり勉強してみるのも面白いですよね。

コメント

    • 佐々木葉子
    • 2017年 6月 01日

    一面会長様。いつも会長のブログを楽しみにしています。会長の言葉はとっても綺麗で、読んでいるだけで心が洗われるように感じるのです。
    今日も水無月の事もとても勉強になりました。
    6月は紫陽花も咲く、私の大好きな月です。
    この6月にこんな由来があったなんて知らなかったのでとても楽しく読ませて頂きました。
    明日のブログが今から楽しみです。

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