嗚呼、懐かしき哉『横浜』

『横浜』

今日6月2日は『横浜開港記念日』です。

もともと、日米修好通商条約では1859年7月4日に開港することになっていましたが、 最終的に旧暦7月1日(現在の6月2日)に開港されることになったとのこと。

開港当日は特に祝賀行事も行われなかったようですが、 1周年にあたる万延元年の6月2日に、 山車や手踊りで街中あげて開港を祝ったのが開港記念日の始まりだそうです。
※「横浜開港祭実行委員会ホールページより」

さてこの横浜ですが、私が初めて社会人としてスタートを切ったのが、この横浜ということもあって、極めて思い入れのある土地なんです。

1982年(昭和57年)4月1日、日本橋の野村證券本社での入社式は、今でも鮮明に記憶に残っています。
全国の同期273名が一同に会し、後に証券業界のドンと呼ばれる「大田淵」こと田淵節也社長の訓示からスタート。
正に身の引き締まる思いでした。

実は入社式前日、当時上北沢にあった研修所に新人全員に集合がかけられていました。入社式前のオリエンテーションがあったのですが、その時のエピソードです。

当時野村證券の新人は、例外なく全国各地での寮生活が義務付けられていました。事前に布団などの生活用品を指定された寮に送ることになっていたのですが、その「送料の領収書」を持って来るように指示されていたのです。

ところが、領収書を持って来るのを忘れた連中が約10名。
その10名が全員の前で立たされました(もちろん私もその中の1人)。
…「1人ずつ、忘れて来た理由を述べよ!」

初めて社会人生活を迎える新人達ですから、みんなガチガチに緊張しています。
「母が持って来ることになってます」とか、「荷物は着払いで送りました」とか「領収書は荷物に入れたまま送りました」などともっともらしい理由を硬い表情で答える連中が続く中、最後の最後に指名されたのが、なんとこの私…
「すいません。忘れましたぁ。」
ボソっと頭を下げると会場が一瞬にして爆笑のウズに…

話を元に戻します。
入社式を終えた新人達は、その日のうちに配属先である全国の支店に連行(笑)されるのです。
そう、その私の配属先が「横浜」だったという訳なんです(前置き長過ぎ)。

その横浜の地で、私は1年で同期273名中トップの営業成績を上げることになります。
その辺りの下りは、また機会があれば…

嗚呼、懐かしき哉『横浜』…

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