『誕生日』。

昨日に引き続き、私の誕生日をお祝いして下さるたくさんのメッセージが全国各地から届きました。
「ありがとうございます」の言葉以外、言う言葉が見当たりません。
この場をお借りして改めて御礼を申し上げます。

さて、今日はそんな『誕生日』について書いてみようと思います。

『誕生日』…1年に1度、誰からも「おめでとう」と言われる日。
年をとると、「誕生日なんてめでたくない…」なんて言う方もいますが、
この世に生を受けたこの瞬間がいかに大切で、いかに〝奇跡的な事実〟であるかということを、私は日頃から伝えています。

お母さんのお腹の中に宿った生命が、羊水の中で十月十日とい時を過ごす。その後子宮からあの狭い産道という道を通過し、大気に触れた瞬間、元気よくオギャーと産声を上げる…
水中動物から陸上動物に移行するその劇的かつ神秘的な瞬間は、正に「記念日」と呼ぶにふさわしい、自分史上最高のお祝い事と言っても過言ではありません。

ところが皆さん、この『誕生日』という言葉の由来をご存知でしょうか?

「誕」という字は、「言葉」を意味する「言」と、「引き延ばす」を意味する「延」を組み合わせた漢字です。即ち、「むやみにひきのばした言葉」ということで、転じて「うそ」や「いつわり」いう意味になります。
「誕」には、生まれるという意味も当然にあるのですが、多くの辞典では「いつわり、嘘をつく」という意味が先に示されていることがわかります。

この「いつわり」は、「苦しいことや悲しいこと」を意味していて、
「生きていくといことは、苦しみや悲しみの連続」だということを表しているのです。
つまり、この世に生を受けるということ、即ち、いつわりが生まれる日であることがわかります。

かのブッダは「人生は〝苦〟である」と説きました。
また、シェークスピアは戯曲『リア王』の中で、「人はみな泣きながら生まれてくる」という台詞で、〝人生の苦〟を表現しました。
この偉人たちの言葉からもわかるように、人生とは〝苦〟を背負って生きていく道なのかもしれません。

「人生には、苦しいことや悲しいことがあるのは当たり前。だとしたら、どんな困難な状態が起ころうが、悲観的にならず常に前向きに生きていこうや」という、生きていく上での大いなるエールが、『誕生日』という言葉自体に込められている…と思えてなりません。

昨日誕生日を迎え、ますます前向き↗️上向き↗️直角上向き…になったペガサスでした。

一面登志曉

一面登志曉

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