本日、「太陽暦採用記念日」。
明治五年(1872年)11月9日、明治政府が、今まで使用していた太陰太陽暦(=天保暦)を廃止し、新しく太陽暦(=グレオリオ)を採用する事を発表をした日です。
このブログでも何度か取り上げましたが、「太陽暦」とは、地球が太陽の周囲を一回りする時間を1年と定めた暦で、「陽暦」あるいは「新暦」ともいいます。太陽の黄道上の運行、季節の交代する周期をもとに作られた暦法で、一太陽年(一回帰年)の長さに基づいて暦年を設定し、月の運行(満ち欠け)による周期は考慮しません。
要するに、これまで日本が使っていた旧暦から、欧米が使用している新暦に変るわけですが、具体的にはこの明治5年の12月3日をいきなり明治6年の1月1日にしてしまうという荒業で、なんと12月2日でその年を終わり(大晦日)にしてしまったのです。
そんな事を1ヶ月前の当時の今日発表してしまったことを考えると、国民の混乱ぶりは想像もできません。
しかも当初の発表では、12月3日ではなく、11月を2日増やして(旧暦は11月が29日までしかない)31日までとし、12月をまるまる無しにする…つまり11月31日の次が1月1日という事にする!と発表したのですが、さすがにそれには非難殺到、急遽2日間だけの12月を過ごしてからお正月ということに決定したとのこと。
それでもどエライことですよね。
準備期間がほとんどなかったわけですが、福沢諭吉などの学者は合理的な太陽暦を支持し、普及させるための書物を著したりしました。
因みに、改暦せずに翌年を迎えた場合、旧暦でいう閏月のある年だった。閏月があると1年は13ヶ月になるため、当時財政難だった明治政府は、公務員の年13回の給料支払いを回避したかったのが本音とも言われています。
太陽暦に改暦の結果、公務員2か月分の給料を節約できた計算になるんですねぇ。
昔の日本の様子を彷彿とさせる事実ですが、現代社会でこんなことやったら、暴動が起きてるかも知れませんね。
この記事へのコメントはありません。