新暦と旧暦

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」

松尾芭蕉がこう言い残して、「おくのほそ道」へと旅立ったのが、328年前の今日、5月16日。
北を目指して江戸を発ち、150日、全行程2,400kmの長旅のスタートを切った日なのです。
この日を記念して、1988年に日本旅のペンクラブが5月16日を「旅の日」と制定しました。

しかし、歴史上では、芭蕉が江戸を発ったのは、元禄2年(1689)の3月27日と記されています。
そうです、これは旧暦ですね。
“旧暦”に換算すると、今日は「3月27日」になります。

え?…元禄2年(1689)には「3月27日」だった日が、現代ではなぜ「5月16日」になるの?

現在私たちが日常使っている暦(新暦)は、グレゴリオ暦と呼ばれているもので、日本では明治5年(1872年)に、従来の太陰太陽暦(旧暦)を廃して急遽採用されました。

当時の改暦は、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)としてしまうという、驚くべきものでした。
この改暦の布告は年も押し詰まった同年11月9日(明治5年12月9日)になされたため、社会的な大混乱をもたらしたと記録に残されています。
このあまりにも急な改暦は、当時の日本政府の財政事情によるものだったんです。

どういうことかというと..

①旧暦のままでは明治6年は閏月があるため13ヶ月となり、月給制に移行したばかりの官吏への報酬を1年間に13回支給しなければならなくなる。これに対して、新暦を導入してしまえば閏月はなくなり12ヶ月分の支給で済む。

②明治5年も12月が2日しかないので、11ヶ月分しか給料を支給せずに済ますことができる。

③当時は1と6のつく日を休業とする習わしがあり、これに節句などの休業を加えると年間の約4割は休業日となる計算だった。新暦導入を機に週休制にあらためることで、休業日を年間50日余に減らすことができる等々…

のどかな古き良き日本の情景とも取れますが、今こんなことが起こったら、暴動になってしまうでしょうね。
私たちが大切にしている「生年月日時」の「年・月・日・時」が、どのように決まったのか、ちょこっとだけ調べてみると、もっと面白くなりますね。

 

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